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 前章で見てきたように、神話のなかで巨人は偉大な役割を果たしていましたね。なんてったって、すべてがごたまぜのごちゃごちゃ状態から、この世界を創り出したのですから! これらの神話で知るかぎり、巨人=神と言ってもいいような気がします。

 そうです。確かに巨人は元もと、神と同じ出自を持っていました。しかし、神同士が互いの存亡を賭けて戦った結果、勝者は神として残り、敗者は失墜し巨人と見なされるようになったと考えられます。

 

 ギリシア神話に登場するアトラスは背中に世界全体を担がされることになりました。また、サイクロプスも神の一族であったにも係わらず、知能は退化し残虐な性質を残すだけの一つ目巨人になり果ててしまいました。彼らが暮らしている地域(現在のシチリア島)に人間は寄りつきませんでした。

 

 北欧神話で巨人族は神との戦いに破れます。わずかに“山の巨人”と呼ばれる種族に生き残った巨人もいましたが、彼らはヨートゥンハイムと呼ばれる辺境に追いやられてしまいます。そして全世界が焼き尽くされるとされているラグナロク(最終戦争)で、神に雪辱を果たそうと考えて、身を潜めています。ラグナロクは、すでに行われたとも、現在より先の未来に行われるとも言われています。

 

 このように各地で事情は違えど、おおかたの巨人たちはこの地上に人間たちが闊歩するようになった頃には、神々との戦いに敗れ辺境の地に身を潜めてしまい、なかなか姿を見ることはできなくなってしまっていたようです。しかし、目立たなくなったとはいえ、その身体は度を越して巨大ですから出現した場合には、目撃者に大きなインパクトを残したはずです。人々の間で語り継がれてきた民話には、そんな巨人の目撃譚が多く残っています。世界各地に巨人の登場する民話が残っていますが、今回はヨーロッパの民話を中心に紹介していきましょう。

 

 巨人にまつわるエピソードの中でも、巨人がどれほど大きかったかということは、もっとも気になる事のひとつではないでしょうか。民話の中でも、最もシンプルなものが、巨人がいかに巨大だったかを物語るエピソードです。

 ドイツには交通の邪魔になっている巨人のウンコを片付けるのに七年かかったとか、人間がトンネルだと思ってくぐったところが巨人の鼻の穴だったという民話が伝わっています。フィンランドでは、まだ三歳の男の子の巨人が森の一本道を巨人が寝そべって塞いでいて、人間がそこを通るときは、ひざを立てた下をくぐらなければならなかったというエピソードが残っています。この巨人のお父さんやお母さんは、どんなに大きかったことでしょう!

 

 さて、これだけ大きい巨人が何か行動をおこしたとしたら……大変な事態になるとは思いませんか? 巨人にとっては、ちょっとしたことでも、小さな人間たちにとっては一大事に違いありません。なにしろ巨人が歩けば、その足跡は巨大な窪地になってしまうのです。そこに水が溜れば沼や湖になってしまうほどです。ただ歩いただけで、そんな具合です。巨人の行動はとっても気紛れときていますから、山ができたり、川ができたり……と、何がおこるかわかりません。

 

 実際、巨人によってつくられたといわれている地形が世界各地に残っています。特に北欧のフィンランド西南部にはそんな場所が多く、ソリから転がり落ちた巨人のおかみさんの涙が溜ってできたアッコ湖や、息子が溺れた湖を埋めようとして巨人の老夫婦が砂を運び、途中でこぼしてしまってできた山などが知られています。

 人々は、雄大な自然の景色や巨大な古代建造物を見たときに、それを造り出した者が巨大な体躯を持った巨人であったと考えなければ、目の前にある景色が存在することを説明できなかったのでしょう。そういう意味では、これらの巨人は前章で世界や大地を造り出した神々に近い存在だと言えます。ただ、巨人たちは決して意図的にこういった地形や建造物を造り出したわけではなく、なんとも間抜けな理由だったり、偶然だったりするところが愉快です。

 

 また、自然造形物だけではなく、イギリスのストーンヘンジなどで有名な巨石文化の遺跡も、巨人によって建造されたと言われている場合があります。イギリス南部のコンウォール、デボン、サマセット地方には巨人の伝説が数多く残っています。

 そんな巨人たちの行動に人間が巻き込まれてしまうと、どうなるでしょうか? フィンランドのカイトゥリ村では巨人が投げた岩石の下敷きになってしまうお百姓さんと牛のエピソードが残っています。

「巨人のおもちゃ」と呼ばれるタイプのエピソードもヨーロッパ各地に分布しています。巨人の女の子が、おもちゃにするための石を集めていると、その中に人間が紛れています。彼女は、それが何なのかわからず、父さん巨人に見せます。父さん巨人は娘をたしなめて、拾った場所に帰してくるように言います。

 スウェーデンにも若い人間の娘を美しい宝物と思い込んで住みかに持ち帰った巨人が、母親巨人にたしなめられ、もとの場所に連れ戻すという民話があります。しかし、このエピソードは、この美しい娘が連れ去られたことに絶望した恋人が自害するという悲しい結末となっています。

 巨人によって人々が連れ去られるエピソードは、他にも沢山あります。たいていの場合、さらわれた女の子は巨人の頭のしらみとりで一生を終えますし、巨人の宮殿の食料貯蔵庫には捕まった人間たちが閉じ込められており、無事に帰ってくることはできないのです。

 

 なかには、運のいい人々もいます。巨人が背中にしょって歩いている大きな袋がビリビリッと破れると、中からお金持ちの人間がこぼれおちてきた、というエピソードが残っている村もあります。この村は、大金持ちの屋敷ばかり建っているそうです。

 巨人に悪意があるにしろ、ないにしろ、人間にとって巨人はなるべく出会いたくない相手といえるでしょう。でも、運悪く巨人と遭遇してしまった場合、あるいは捕まってしまった場合はどうすればいいのでしょう? 

 幸いなことに、どんな巨人にもどこか弱点がありますから、その弱点をつけばいいのです。たいていの場合、巨人の弱点は、頭が弱いところにあります。

機転をきかせて、巨人を追い払うタイプの民話には、大きくわけてふたつのパターンがあります。ひとつは、人里目指してはるばるやってくる途中の巨人に、人里はまだまだ先だと嘘を教えて、あきらめさせるパターンです。もうひとつは、石を粉々の砂のように砕いて力を誇示する巨人の目の前で、チーズを握り潰してみせ、石から水を絞り出せるようにみせかけるというものです。

 巨人の弱点は、頭が弱いばかりではありません。体の一部分がウィークポイントになっていて、そこを討たれて死ぬ巨人が多いのです。巨人のウィークポイントは眉間であることが多いようです。これは、巨人の知能が低いことを象徴しているともいわれています。また、踵などの体の末端が弱点である場合もあります。これは、神経の鈍さを象徴しているようにも思われますし、体格的に人間の手が届きやすい場所でもあるため、攻撃されやすいという理由もあるかもしれません。

 

 エネルギーの源が体とは別の場所にあるという例は、巨人に限らず怪物退治の伝説にはよくあるパターンです。その場合、巨人を倒したい者は、エネルギーの源を求めて旅に出ることになります。

 この他にも、意外なことが弱点になっている巨人がいます。その弱点とは、人間に名前を知られてしまうことです。このパターンの民話では、二人の巨人が教会の無い村にやってきて、牧師の命とひきかえに教会を建ててやろうと申し出ます。しかし、もし教会ができあがるまでに巨人たちの名前がわかれば、無償にしてやろうというのです。村人たちは、これは得な話だということで教会を建ててもらうことにします。教会が完成直前になっても、村人は誰も巨人の名前がわかりません。二人の巨人は決して名前を呼び合わないからです。教会完成の前日に途方に暮れた牧師が森に入っていくと、そこで

偶然巨人が名前を呼び合って歌っているのを聞きます。翌日、牧師が巨人の名を呼ぶと巨人は大変悔しがりながら、カラスに姿を変えて飛び去ってしまいます。

 

 巨人はもはや、恐れられるばかりの存在ではなくなってしまったようです。やがて人間の英雄によって退治されてしまう巨人もでてきます。また、巨人は退治されるだけでなく、英雄の忠実な部下となって従う場合もあります。どちらにしても、巨人の威厳あるイメージが、英雄の名をあげるためには効果的であることに違いありません。

 イングランドの伝説で有名な円卓の騎士アーサー王も巨人と戦ったことのある英雄の一人です。アーザー王は身長3.5メートルの巨人・コーラングやローマ皇帝ルキウス配下の50人の巨人と戦って、彼らを滅ぼしたこともあります。

 さすがのアーサー王もてこずった相手はフランスの聖ミカエル山の巨人です。この巨人は7年間人間の子供を食べ続けたので、あたりには子供がいなくなってしまいました。また、ブルターニュ王の奥方をさらって、手ごめにし、へそまで引き裂いて殺してしまったりしました。アーサーが駆け付けたときには、12人の赤子を串刺しにした串を3人の人間の娘に回させていました。アーサーはこれを見て怒りにかられ、巨人を挑発します。アーサーは冠をはじき飛ばされますが、剣で巨人の一物と腹をえぐります。形勢は五分五分でしたが、アーサーの部下が駆け付け、なんとか巨人を倒しました。この巨人は悪魔から生まれたとされています。戦いの間、3人の娘が神に祈っていましたが、これがなければアーサーの命は無かったかもしれません。

 

 神への祈りが巨人を倒す大切な要素となっていることは、巨人の登場するエピソードをについて考えるとき、重要なことかもしれません。

 旧約聖書では、ダビデが、イスラエル軍が恐れていた巨人・ゴリヤテを倒します。「生ける神の御名にかけてお前と戦う」−−ダビデは、そう言ってゴリヤテと戦います。羊飼いの少年であるダビデがゴリヤテを倒せたのは、神への信仰心の強さのためなのです。

 また、ロシアの英雄の中でも最高の勇士と言われているイリヤ・ムウロメツは、巨人スヴャトゴルと兄弟の契りを交わし、ロシア正教のために戦いつづけるのです。

 人間の最も理想的なモデルとして描かれる英雄以外にも、巨人を倒してしまう者がいました。イギリスの民話「ジャックと豆の木」では、少年が巨人を倒してしまいます。

フランスの民話でも熊に育てられたジャックという少年が巨人の宮殿に乗り込んでいき数々の勇気と幸運で、巨人を倒すエピソードがあります。これらのエピソードは、それぞれの国で、現代でもポピュラーな童話として子供たちに親しまれています。

 

 こうなってくると、巨人の威厳もどこへやら、ますます人間たちの天下となっていきます。身近な場所に人間が暮らしはじめただけで、すたこらさっさと逃げ出す巨人まで出てくるのです。

巨人は、ある日突然「カーン、カーン」という教会の鐘の音を聞き、大慌てしてしまいます。巨人は人間たちが森の側に住みはじめたことを知らなかったのです。「なんだ、あの恐ろしい音は! 俺の上着はどこだ? 俺の帽子、俺の子の揺りかごはどこだあ〜」巨人は、あわてて森から逃げ出していくのです。

 このエピソードではキリスト教会の鐘の音が、人間の威信の現れとして描かれていることがわかります。まるで巨人たちは、次第に支配的になっていく主流文化から追われていく異端の者たちのようには見えませんか? ときには英雄に、ときには名もない庶民たちによって退治されていく巨人たちの姿は、そんな滅び去っていく者たちの姿を象徴しているのかもしれません。

 

 なかには、人間と仲良くしようとする巨人もいました。イギリスのカーンガルバの巨人は、他の巨人たちから人間を守っていたと言われています。ある日、人間の若者とボール遊びをしていたカーンガルバの巨人は、あんまり楽しかったものですから「また明日遊ぼうよ」と、若者の頭を軽く叩きます。しかし、その若者はばったりと倒れて死んでしまいます。「おお、何故お前の頭は、そんなにも柔らかいのだ」と巨人は嘆き悲しみ、数カ月後に苦しみの余り死んでしまいます。このように巨人と人間のコミュニケーションは失敗しつづけるのです。カーンガルバには、巨人が寂しそうに腰掛けていた巨大な石が現在でも残っています。

今回紹介した「巨人のおもちゃ」のエピソードを紹介する絵本の中には、父親巨人が人間について、このように語っているものがあります。「わしら、巨人が、この世界からいなくなったあとでも、ずっと生きていく、いきものだよ」(『巨人のはなし−フィンランドのむかしばなし』再話マルヤ・ハルコネン 訳坂井玲子)

 この父親巨人は、なぜ、このようなセリフを言ったのでしょうか? (もちろん、このエピソードを語り継いでいるのは、巨人たちが滅び去ったあとに生き残った人間ではあるのですが)父親巨人は、自分たち巨人族の行く末を知っていたとでもいうのでしょうか? 教会の鐘の音に耐えられなくなった巨人のなかには、海の沖にある島に移り住んだ巨人もいました。あるときその島の沿岸で、船が遭難し人間が漂着しました。彼らは巨人に出会いますが、巨人はもう年老いて目が見えませんでした。「お前の手をこちらに出せ。人間には、まだ暖かい血が流れているか確かめよう」 巨人の手を触る勇気

がなかったその男は、たき火から真っ赤に焼けた鉄の棒を差し出しました。「うーむ、人間にはまだ暖かい血が流れているわい」と巨人はいいます。

 

 人間たちに追いやられるようにして姿を消してしまった巨人たち。それでもこんな風に遠いどこかで、かつて人間のそばで暮らしていた時代を、巨人は懐かしんでいるかもしれませんよ! tpic3.JPG (19220 バイト)

 

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